昭和54年 12月31日 除夜祭
一年中の、うー、御礼を申させて頂き、また、お詫びを申させて頂いて、えー、今日の、おー、除夜祭を終わらせて頂きました。本当に、えー、日勝り、月勝りに、代勝りのおかげが受けられると仰せられます。どうぞ、日参、聴教、心行、家業の行、ね。合楽理念の実験、実証を成しながら、うーん、いよいよ日勝り、月勝り、年勝りのおかげを頂いていただきたいと思う。
うー、そこから信心の真を現しては、それこそ代勝りのおかげにも繋がり、貧争病のない世界、真善美輝かんばかりの世界に住まわせて頂いて、それが子に孫に伝わっていこう、そういう内容の教えを、合楽では朝晩、皆さんに聞いて頂いておるのでございます。だから、皆さんがそういうおかげを頂いて下さらなければ、私の言う事が空ごとになるのです。
今日、お礼を申させて頂いとりましたら、写楽という字を頂きました、写す楽しみという、江戸時代に、幻の絵描きと言われておりますのが、写楽という人が、ね、おった事はおったに違いない、もう独特の絵が残っておりますし、ただ、何時の頃に亡くなったのかどこへ行ったのか、という事が、だから、さすが美の画人とも、まあ言われております。写楽と、皆さんもよう見られるでしょう。現在、写楽の絵がありましたら、もうどんな小さい絵でも、一千万はくだらないです。ね。
その絵がどういう絵かというと、本当にこの写楽、ね、えー、例えば、えー、歌舞伎絵なんかを沢山書いております。ね、だから、「はなたかこうしろう?」という、大変、外人のような鼻の高い、今の「松本こうしろう?」の前の前のずーっと前の役者です。もうそれこそ絵で見ると、何か鳥かカラスの鼻のごとある(笑い)、と書いております。何とかという、女形を描いておる何かは、もうちょうど目はつり上がって、こう口がこう出ておる、狐のごとしとる。
時に、問題が起こったと、それが何とかという女形がね、私はこんな顔をしていない、と言うてその、怒ったと言うんです。ところが実際は、やっぱその通りの顔でだが、芸がうまかったという事でしょう。できるだけ綺麗に美しいごとにおわる、例えば、ああいう美人が何というような、(?)を、良いところは良いところ、悪いところは悪いところとはっきり、書き写したんですね。
そして、その、点数が非常に少ないという事もありまして、あの今よう、今あれば時価一千万はくだらないというほどしに、値打ちのある絵として、皆がだんだん、分かってきた認めてきた。それもなのかと言うと、外国の方達が、その良さを発見した。合楽理念は、助かりの理念。ね、だけではない。あの世にも持っていけ、この世にも残しておけれるお徳が受けられる理念。
しかもそれが、楽しゅう有難う愉快にまで、その気になったらなれるような、表現、または、教になっておる。ね。あまりに、場合には、今までかつて宗教者が言うてきた事のないような事を、まあここでは、申しますわけですね、金光教が、言わば宗教以前の宗教であるとか、最近言われる、うー、清濁一如とかというような事を、ね。ですから、やはり、そんな事が馬鹿な事、とんでもない事、というような反発もありますけれども、それこそ写楽の絵じゃないですけれども、真実を真実として神様の心を心を、そのまま皆さんに伝えておるのですから、その、言うなら、言うておる事が間違いない証拠に、おかげを頂いておるのでございます。実験実証を合楽教会ではしておるのです。
今日も、一年中の、おー、お届け数を調べてもらいました。合楽のお届けの帳面が、二つに重なっておりますから、十冊ずつ重なっとんなら、二十冊あるわけです。今日は神様にその事を、お届けさして頂きました。ちょっと,眼鏡ば取って。うん。ね、それこそ日勝り月勝り年勝り、ね、嘘ではない、こういうおかげが受けられるんだと、ね、いう事を皆さんにも聞いてもらい見てもらい、しておるわけですから。
えー、ちょうど三年分が書いてあります。52年には323,570、ね、その翌年には、53年には、362,000、ちょうど4万増えておる。今年は54年は、42万、40万代です、425,817という数、言うならば、6万からの、言うなら数が増えております。日勝り月勝り年勝りでしょう?おさがりが、1億6270万でしたかね、最後んところは。60万?ね、えー、1億6200万。ちょうど去年が1億ちょっとでしたから、もう約倍、約じゃありません、倍、もちろん、えー、ご建設が始まっておりますから、ご建設費が、皆さん一生懸命、おかげを頂いておられますから、そういう数字に上っておるのでございましょうけれども、信心もできませんのに、もうそれこそ、日勝り月勝り年勝りにおかげを受けております、ことを神様にお届けをさして頂いたが、皆さんの場合はどうでしょう、日勝り月勝り年勝りに、このようなおかげが皆さんの所でも受けられておるであろうか、ね。
親先生の専売特許ではないのです。皆さん、ね、それこそ私は写楽の話じゃないけれども、合楽にご縁を頂いておった現在の金光教が、ね、現在社会の布教をすると言うて、もうそれこそ、あー、一生懸命になっておっても、ひとーつも増えるどころか、ジリ貧に少なく下がっておるという事実から見てです、ね、いかに合楽理念というものが確かなものであるか、そして本当の事であるかという事を分かるのは、ひょっとすると、(笑い)、外国の方達かも分かりませんよね。
南米に北米に、または中南米にカナダに、ハワイに、ね、豪州に、ヨーロッパにアフリカに、合楽理念が浸透してまいりまして、ね、その、言うなら進化を通るのは、ひょっとすると外国の人達かもしれません。写楽の絵がそうでした。こんなカラスのごとある絵描いてとか、ね、こんな鼻、もう、というような、ああー、その、評判が日本では悪かったんですけれども、それが、ね、いわゆるヨーロッパの方達やら、アメリカの人達がそれを買い求めて、大変な、その評価をされるようになり、ね、慌てて、日本の人達がもう他所に出してはならないぞ、売ってはならないぞと言うた頃には、ほとんど良い物は外国に渡っておったという事になっております。
私は今日の写楽ということを頂いてね、言うならば合楽り、合楽理念とか、合楽世界、(とけんしゃっという?)、その合楽というそういう事に繋がる、そういうおかげを、ね、そのままに、移して頂けるほどしの、言うならば、皆さんは、状態にあるのです。ね。だから、本気で、おかげを頂いて、ね、時分のものにしておかなければ、馬鹿らしい。ね。
だから、合楽理念は、そう難しいことじゃない、その気になったらできるんだと、ね。中に、例えば合楽で、えー、昔からこれは言われておりますけれども、信心の節度という事が言われます。ね。きちっとしたおかげを頂くためには、きちっとした信心をせろよと。例えば時間なら時間でも、ね、私は4時の御祈念に、もうこれは絶対、3時半に出ます。ね。
というように、これは欠かした事がない。ね、若先生が5時の御祈念に出て見える、もう惜しい惜しい、5分間10分間と思うとろうけれども、ね、それができない。まあそれは私はもう一生懸命でお詫びをする。ね。詫びれば許してやりたいのが親心だ、まあもちろん、私がこうやっておかげをを頂いておる間、いつ、間には、ね、それこそ、一秒間の狂いも無いような5時の御祈念をできるようにもなるでしょう。
けれどもそれは、できんところはね、それを無理言うてじゃないけれども、やろうという気にならなければできない。そして出てなかったところは、なら今年一年を締めくくってみて、なら私自身もできなかったところはいっぱいなんですから、心から詫びて、これですんだとは思いません、ね、来年はもう少しマシな信心にならせて頂きたいとい願いを立てさせて頂きます。ね。
もう皆さんが耳にタコができたと思われるかもしれませんけれども、2,3日前の御理解でしたでしょうか、ね、「心次第だ、修行次第だ」という御理解を頂いたでしょうが。あそこへ参っておかげが受けられない、ここへ参ったらおかげを受けられるというのが守り守りの力で違うんだと、朝が早い、と遅いは信者の浅い、早い遅いに関わるぞと。という事は、ね、言うならば、お前の修行次第だよ、心次第だよという事です。
ですから、そこをね、例えば、たまには、あー、苦しい時もあろうけれども、例えば眠たい時もあろうけれども、ね、ここではちょっと、と楽をしたい時もあろうけれども、そこを通り抜けさして頂く楽しみが身についてこなければいけないと思うんです。ね、皆さんもひとつ、いよいよね、なら、こういう合楽教会が実験実証を実際させて頂いておるのでございますから、皆さんの合楽理念の実験実証がどこにか、まだまだ狂いがあるんだ、間違っておるんだ、心の状態をこれは、もちろん限りが無い修行でございますから、最近一週間余りですかね、私が申しております、もう今を喜ぶという、もうこれなんかはもう、もう本当に、もう生神金光大神を目指すことはこのことだろうと思うんです。
そしていつ目をつぶってみても、いつ思うてみても、私の心の中に喜びがあるのに、ここ一週間までは、とりわけ、だけん自分ながら、おかげを頂いたもんだなあと、思います。これがもっと広く大きくなれば、だからおかげも確かだろうと思います。ね。今を喜べと言えるもんじゃないです。だから皆さんも私がこうやって、合楽理念を行じなければいけんぞというのじゃなくてです。ね。
それこそ今を喜ぶ、合楽理念を実験実証するという自分自身が、その気にならなければ、できんのです。ね。そこからね、ね、言うならば少々間違うても神様そういう精進の中に、間違うておっても、間違うていないかのようにして、おかげを下さってある。私は本当に、いろんな意味で合楽では前代未聞といったような言葉を使いますけれども、ね、今もここで言う、お下がりといい、言うならばお届けの、するといいです。
言うならば、前代未聞の働きがです、合楽教会で現に起こっておるんです。ね、だから何に一生懸命なるよりもです、まず、言うならば信心に一生懸命になる。その信心、信心ち( ? )になるというようなことはないです。ね、今日の御理解ではないですけれども、ね、例えばお花の稽古をさしてもらう、だんだん自分でも面白うなってきた、ほう、もうだんだん先生からお許しも頂いた。ね。
指導者の、言うならば免許も採った。ね。だから、それがもう生活になるのです。ね、そのお花ならお花が、見よって生活がかかってくるんですけれども、生活がかかったんでは、(げさっか?)というような事はないです。金光様の御信心でもそうです。ね、おかげおかげで、終止するからいけんのであって、おかげを頂き頂き、言うならば合楽理念の実験実証者としてのです、言うならばその修行(たい?)のようなものが、私共の全身全霊の中に入ってこなければならない。ね。
そこから、人に伝えるたら人も助かるというような働きになってまいましょう、日勝り月勝りになってまいりましょう。どうでしょうか、ひとつこう、日々言うておる、日参、教聴、心行、家業の行、もうこれに徹する事です。ね、いよいよ合楽理念の実験実証をさして頂いて、ね、そして、いわゆる、日勝り月勝りのおかげを頂いて、それを信心の真を持って現していく、ね、信心の光がないということは、世界は闇だと今日の御理解に仰いました、あー、いうお話しを頂いたんですけれども、ね、例えば心に光を持たない者が、千万集まったところで、大したことは無いのです、ね、心に光を頂く、信心。ね。
どうでも、ひとつ、あっ、(笑い)、外国の人達が先分かることのないような、さあ、外国で素晴らしいと評価されるようになって、慌てて、えー、たところでもう遅いと、いう事のないような、信心を身につけて頂きたいと思います。
今日の、まあ、あー、一年間のお礼と、お詫びを申させて頂きましたが、ね、信心もできんのに、日勝り月勝りのおかげを受けておるということが、やはり、取りも直さず、神様へのお礼になることだと思う。信心もできんのにこうしておかげを頂いておることを思うと、言うなら至らなかったことのお詫びもまた、心からさしてもらう。ね。そして、この、お詫びをしなければならないところを来年に持ち越すけれども、それがまた、その次の年には、いくらかマシな信心に育って、また、この調子で、ね、年勝りのおかげにも繋がる。
それがいよいよをもって、代勝りのおかげとも、(?)は二代よりも三代というように、繁盛していくというような、御教会であらなければならない、また、皆さん、お一人お一人でなからなければならないと思います。ためには、皆さんのお家では皆さんが、まずは初代が。ね。合楽理念の実験実証者はあなた方なんだ。ね。それを子にも孫にも伝えていけれるほどしの、ものにまで高めておかげを頂いていかなければいけないと思います。ね。
これは、うーん、こちらへ参りましてから、そんな感じが私は非常に神経が細かいですから、さあ、がん、お正月ともなると、もうそれこそ演出してからでも、お正月気分を満喫いしたいというような気分がありましたけれども、最近は、もう昨日も今日も、明日もおそらく変わらないでしょう、私の心は。だからどうしておかなければならない、というような事はない。
これはどういう事かというと、それこそ、日々が夜が明けたなら元旦と思うて、世が、暮れたら、日が暮れたら、大晦日と思うてといったような、締め括りが合楽理念によってできていっておるからだと思うです。だから、まあ私にとっちゃあ、(笑い)、その、その、皆さんのような正月の楽しみとか喜びというものはないけれども、私はいつも正月のような、あー、言うならば、元日のような、心で日々を過ごしておるという事にもなりますから、365日が正月です。
それを、今、最近の私が実感しておる事から言うとです、ね、今を喜べという事になるのじゃないでしょかね。どうぞ。